信玄鐔のミステリー
特集
2022.03.14
俱楽部御台へようこそお越しくださいました
本日は、以前にサムライ書房Instagramに投稿した記事が消えてしまっていたので、その鐔を皆さまと鑑賞したいと思います。
NGワードか何かに引っかかってしまったのかしら(泣)
Instagramの方で写真や記事をご覧になってくださった皆さま、いいねをくださった皆さま、本当に申し訳ございません…
ストーリーズは残っております(これも謎ですね…)
謎多き「信玄鐔」を鑑賞してまいりましょう。
『百足文様図鐔』
無銘(むめい):制作者の銘が切ってありません。
信玄(しんげん):武田信玄の好みによって制作されたといわれていますが、真偽のほどは定かではありません…後ほど深掘りしたいと思います。
丸形(まるがた):正円であり、この鐔は8.5cm×8.5cmでした。ちなみに厚みは7.5mmありました。
鉄地(てつじ):鐔の素材が鉄であることを示します。
鋤下彫(すきさげぼり):今までの作品で「鋤出彫」(すきだしぼり)をご紹介しましたが、それの言い換えと思っていただいて大丈夫です。
文様の周りを彫り下げて、文様の部分を高くして彫を加えています。
象嵌(ぞうがん):ある一つの素材に文様を彫り、そのくぼみに金などの別の素材を嵌め込む(はめこむ)ことをいいます。
鋤残耳(すきのこしみみ):耳の厚さと切羽台(せっぱだい)の厚さが大体同じで、その間を鏨(たがね)で鋤いて下げたものをいいます。触ると耳がぽこっと盛り上がっているのがわかります。
この鐔は「信玄鐔」と呼ばれ、そのほとんどが写真のように、丸形で、鉄地をムカデが囲っているようなデザインや、針金を巻いたようなデザインで、全て無銘です。
信玄はムカデを、武神である毘沙門天の使いだとして、戦の伝令役の旗指物(戦国時代以降の武士が戦場で自らの存在や所属を示すために身に着けた旗)の文様にしていたのは確かなのですが…
ムカデは神の使いといわれ、前にしか進まないことから、後退しない勇ましいことの象徴として刀装具に多く用いられるモチーフです。
それにしては作られた年代が信玄の生きた戦国時代と合わず、信玄鐔は古くても江戸時代の物が多いので、真相はまだ闇の中です。
鋤残耳の手法の鐔も江戸時代後期に多く、信玄がムカデを大切にしていたことから、比較的新しい時代の金工が「信玄といえばムカデ」と制作したものとも考えられますし、外国へ輸出するために制作されたものと説明しているものもあります。
しかし、武田信玄の菩提寺の山梨県甲府市にある「恵林寺」(えりんじ)に、古い時代の物と思われる信玄鐔と伝わっている鐔が数枚保存されているそうです…!
ミステリーいっぱいの信玄鐔。
恵林寺にいつか見に行ってみたくなりました。
本日もご来店誠に有難う御座います。
皆さまのまたのお越しを心よりお待ちしております。
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