知れば知るほど美しい二十四節気七十二候の世界
特集
2022.03.05
俱楽部御台へようこそお越しくださいました
日本の暦の一つでありながら、知っているようで知らない「二十四節気七十二候」(にじゅうしせっきしちじゅうにこう)についてお話したいと思います。
まずはなぜこの暦が生まれたかを説明しましょう。
日本人は古来より、月の形で日付を知り、太陽の動きによって時間をはかり、生活の目安にしていました。
どんな時期に何を植えたらいいか、どんな動物の狩りができるか、暦がないと分からないからですね。
そこで新月の日を毎月一日として、そこから月が満ちて欠けるまでをひと月とカウントしたものを「太陰暦」といいます。
地球が太陽を一周する期間を一年としたものを「太陽暦」といい、この二つを組み合わせた太陽太陰暦のことを「旧暦」といいます。
しかし、月の満ち欠けの周期は大体29.5日ですが、実際の満ち欠けの周期は複雑に変動し、それと太陽の周期を組み合わせるとズレが生じ、農耕や狩り、漁に従事していた人々の暮らしに支障が出始めます。
そこで、季節感を出し、暦をもっと分かりやすくしようと編み出されたものが「二十四節気」でした。
太陽の高さが最も高くなる「夏至」と太陽の高さが最も低くなる「冬至」
その間の「春分」「秋分」の四つを基準に、一年を二十四等分に区切ったものです。
二十四節気は切り替わるまで約15日間、七十二候はこれを更に三等分したものをいい、約5日ごとに切り替わります。
現在使われている「気候」という言葉は、二十四節「気」と七十二「候」の文字をとって生まれたものです。
七十二候は、元々古代中国華北の黄河流域で作られたものなのですが、中国と日本では気候や風土に違いがあるため、江戸時代初期に天文歴学者の渋川春海によって「本朝七十二候」といわれる日本の七十二候が誕生しました。
日本の気象や動物たちの変化、草花の移ろいを繊細に捉え、風情のある美しい名称がつけられ、自然と共に生活をしてきた日本人の暮らしの大切な暦となったのです。
現代では、「本朝七十二候」を受け継ぎつつ、時代や気象の変化に合わせ修正された「略本歴」(明治七年掲載)の七十二候が主に使われています。
サムライ書房Twitterでは、二十四節気七十二候の日を毎回掲載しています。
美しい漢文や、訳された優美な日本語に、忙しい日常からちょっと離れて、季節の移ろいを感じていただけましたら幸いです。
サムライ書房Instagramでは、二十四節気七十二候に合わせたモチーフの刀装具の鑑賞もしています。
是非合わせてお楽しみください。
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御台ママ&巴