サイコでサイコーなサムライ!?源義経の素顔
武将
2022.06.17
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で菅田将暉さんが演じた『義経』
幼名を『牛若』と云います。
源義朝の九男として生まれ、源頼朝の異母弟にあたります。
その為、源氏に帰参した折には『九郎』と号します。
数え2歳の頃に平治の乱で父、義朝が死亡した為に母常磐御前に連れられ、逃亡!
11歳で鞍馬寺に預けられ『遮那王』と名乗り、しばらく寺で過ごしました。
このころの義経を描いた物語では
鞍馬寺に預けられた『牛若丸』、天狗とも言われる『鬼一法眼』に武芸を授けられ、兵法書『六韜』『三略』を与えられ(盗み出し)、五条大橋で刀狩りをしていた破戒僧『弁慶』を倒し、家臣とした!とあります。
遮那王は鞍馬寺にはいましたが僧にはならず、思い立って寺を出て自ら元服します。
武蔵坊弁慶を得て、奥州平泉にて奥州藤原氏の藤原秀衡の庇護を受けることになるのでした。
数年後、頼朝が平家に対し兵を上げると、伊勢三郎、佐藤兄弟、那須与一らと、颯爽と頼朝の黄瀬川の陣に駆け付けます。
義経自身は痩身非力と云われますが、忠臣達に助けられながら一ノ谷、屋島、檀ノ浦と数々の戦いに勝利し、源氏を勝利に導いていきます。
しかし過ぎた名声により、源氏の棟梁である兄頼朝の不興を買い、身内に追われ、最後は鎌倉に屈した藤原氏に攻められ、衣川館で自刃したというのが大まかな流れです。
この義経、源平合戦において最大最高のヒーローの様に描かれてますが、ちょっとサイコな一面がありました。
1つ目は屋島の戦い。
海戦に不馴れな源氏は、舟戦に長けた平家に押されていました。
当時船を操るのは、専門の操船要員で『非戦闘員』でしたので、戦のルールとして彼らを攻撃する事は禁止という暗黙の了解がありました。
だからこそ船乗りは戦に加担したのですが、義経はルールを無視!
『あの者(操船要員)たちから射よ!』と船乗りを射殺し、動けなくなった舟を駆逐していったのです。
また扇の的で有名な那須与一はじめ、何人も『戦って死ぬか、今この場で私(義経)に射殺されるか選べ!』と弓で脅したりもしています。
さらに『一ノ谷』では断崖絶壁を馬で降りる!という作戦を主張した際『鹿は降りられるというではないか!鹿も四つ足、馬も四つ足!』と作戦を断行。
実は生物学的には鹿は偶蹄目で斜面に強いが、馬というのは奇蹄目で、斜面には弱いのです。
奇跡的に降りられた様ですが、中にはゆっくり降りた者や、転げ落ちた者もいたとか。
色んなエピソードを残した義経、彼からできた言葉もあります。
義経が頂いた官位に『判官』というのがあります。
立場の弱い者を贔屓することを『判官贔屓』というのは彼からきています。
ただ、前述の事を考えると一番、判官贔屓して欲しかったのは義経の部下達だった様な気もしますね。
この義経を手本にしていたのがあの織田信長。
何だかちょっと納得しますね。
そして、義経には天狗の弟子だとか、実は死んでいなかったという伝説が幾つも残っています。
中には大陸に渡って『チンギス・ハーン』になったなんて伝説も!
今後の大河ドラマの展開に義経がどう絡んでくるのか、楽しみですね。