サムライ書房

10人の兄のうち9人が平家についた源氏きっての弓の達人、那須与一。

源氏と平家の「屋島の戦い」で、平家が立てた扇の的を見事に射落としたことで有名な那須与一。

しかし、奥義を射抜いた伝説以外には中々詳しい記録が残っていません。

今回は生没年さえあやふやで、お墓もあちこちにある与一の素顔に迫りたいと思います!

 

◆ 那須与一ってどんな人?


(出典:Wikipedia)

・出身地:神田城(現在の栃木県那須郡)
(※ 付近と推測されることが多い)

・生涯: 1168年〜1190年(※諸説あり)

・幼い頃から弓の達人

・源氏に従軍し、屋島の戦いで功績を残した。

◆ 那須与一のここがすごい「70m以上離れた扇子のど真ん中を撃ち抜いた!」

折しも風吹く屋島やしま

波間に揺れる船に立った『扇の的』を見つめ、弓を引き絞る、那須与一。

『南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光権現、宇都宮、那須のゆぜんの大明神、願わくはあの扇の真ん中射させてたばせ給え! これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に二たび面を向かうべからず。今一度本国へ向かえんと思し召さば、この矢外させ給うな』と心のうちに祈念して、目を見開ひたれば、風もすこし吹き弱り、扇も射よげにぞなったりける。(平家物語より抜粋)

意味は『 南無八幡大菩薩、我が故郷の神々、日光の権現、宇都宮大明神、那須の湯泉大明神、お願いします。あの扇の真ん中を射させて下さい! これを射るのを失敗したら、弓を折り、自害して、二度と人に顔向けできません。もう一度故郷に帰らせてもらえるなら、この矢を外させないで下さい。」

そう心で念じながら、目を見開くと、風もちょっとおさまり、扇も射やすくなった。

ここで与一はかぶら矢を放つ!

矢は見事に扇の的を射落としたという。

この時の距離は『磯へ7~8段』とあり、1段=6けん、1間は6尺(約180cm強)なので、70m以上はあったと云われています。

仕掛けた挑発とはいえ扇の的を当てた与一に、平家側も賛辞喝采し、舞をもって称えたそうです。

源平合戦の一幕、源義経の家来の那須与一の活躍したお話です。

◆ 那須与一の9人の兄は源氏の敵の平家に仕えていた!?

那須与一は現在の栃木県那須郡の『神田城』で生まれたとされます。

那須氏は地元の有力豪族で、那須資隆なすすけたかの、なんと11男として生まれたそうです。

※『与一』とは十に一つ余るという意味もあります

幼い頃から弓の修練を欠かさず、兄達の前でもその腕は随一でした。

那須岳で弓の稽古中に、那須温泉神社に祈願に訪れた義経と遭遇し、ここで父、資隆すけたかが与一のすぐ上の兄の為隆ためたかと与一を義経の家来にとお願いしたというお話があります。

ちなみに鎌倉時代の歴史書である吾妻鏡あずまかがみには那須与一は出て来ませんが『平家物語』『源平盛衰記』にはバッチリ載っています。与一の活躍が読みたい方はこちらをどうぞ!

その『平家物語』の内容から見ると与一は永万2年/仁安元年(1166年)~仁安3年(1168年)頃に誕生したと云われます。

何せ鎌倉幕府成立以前の、地方豪族の11男の記録となるとはっきりした資料が見当たらないのです。

そんな中でも残る資料によれば、与一は11男でしたが那須家を継ぐことになります。

その理由の1つは長男から9男までが平家側についたこと!

源平合戦で勝って、鎌倉幕府を開いた『源氏』の敵側です。当然『敵側』に与したので9人は那須氏の後継は許されなかったのです。

もう1つは唯一、与一と共に源氏についた10番目のお兄ちゃんである為隆ためたかが、義経に対して命令違反を起こして逃亡!
※ 後に許されるが帰参は許されず『千本氏』となる

こういった理由から11男が家を継ぐ事になり、下野国(今の栃木県)における『那須氏』の基礎を作ります。

幕府というのは『武家』の管理に重きを置くため、イレギュラーな『嫡男以外の後継ぎ』の場合生年、死没の資料が乏しいのです。

与一の最期については、山城国伏見において死去とだけあります。

吾妻鏡あずまかがみには『家督は兄・五郎資之(之隆)が継いだが、宇都宮朝綱の子・頼資が資之の養子となり家督を継いだ』とあります。

与一は彼の技一本で勇名を馳せた人物でした。

◆ こんなにたくさん!?弓にまつわる言葉の語源

さて、最近時代劇や戦国モノに親しむ方々が多くなったせいか、若い方に『言葉の語源』を聞かれることがあります。

今日はその中からいくつかご紹介させて頂きます!

「刀は武士の魂」と言ったのは江戸中期から。それより前の戦国時代は戦をやり働き』、武者をやり一筋の者』やりが主体だったんですが、その前は戦の事を『弓矢の事』と言ったんです。

弓矢戦が『主』だったんですね♫

源平の頃の口上で『平家随一の強弓の~』『弓矢の事(戦)に女子供の口出し無用!』というものがありました。

実際に日本では馬と弓矢から発展した言葉も多く、右手を馬を操るため馬手めて、左手を弓を持つため弓手ゆんでと言ったりします。

手薬煉てぐすねを引く』というのも、弓の弦などを強くするために塗られる粘着剤、薬煉くすねを弦に塗ることから『十分な態勢で待ち構える』という意味をなすようになりました。

他にも『のるかそるか』、これは『伸るか反るか』と書き、文字通り『伸びるか曲がるか』って意味です。

実はこの語源は『矢師』つまり弓矢の『矢』を作る職人さんの『願い』から。

矢は主に竹などで作るんですが、まっすぐにならないと良い矢にはなりませんよね?

そのため、乾燥整形中は『型』に入れるんですが、そこからドキドキしながら取り出す時に『伸るか反るか』って取り出したんです。

最終整形で曲がっていたら、苦労したものでも捨てなければならなかったんですね。

そして『図星』『的を射る』『正鵠せいこうを射る』

これらは『弓矢の的』を正確に射る様をあらわし、物事の核心をつくことを意味します。

図星はそのまま弓矢の的の黒い部分。

くぐいは中国から伝わった言葉ですが、これも弓の的の中心の事です(くぐいの正確な真ん中なので正鵠せいこう)。

ただ正鵠せいこうを射る』って言葉が出来たのは明治~昭和初期と言われています。

◆ まとめ

屋島で扇の的を見事に射落とし、その名を知らしめた那須与一。

この華々しい活躍の後は、歴史の表舞台に登場しないことから様々な説が生まれていますが、その弓の腕前もさることながら、十一男という立場で那須家を継いで盛り立てていった姿はとても立派なものですね。

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