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『雷神』を斬った無敵の武将、立花道雪の伝説に迫る!

『雷神』と言われた武将、立花道雪たちばなどうせつ

九州の大友家に仕えた謎多き武将として知られています。

足が不自由だったという割には無敵の強さを誇った道雪。

今回は彼の伝説について迫ります!

 

◆立花道雪ってどんな人?

(出典:Wikipedia)

・出身地:豊後国ぶんごのくに(現在の大分県)

・生涯:1513年(永正10年)〜1585年(天正13年)

・戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

・豊後の戦国大名である大友氏の家臣として大友義鑑おおともよしあき大友義鎮おおともよししげの2代に仕えた

臼杵鑑速うすきあきすみ吉弘鑑理よしひろあきまさらと共に大友家の三宿老しゅくろうに数えられた

◆生涯無敗。37回の戦に勝ち続けた最強の武将、立花道雪。

道雪は永正10年(1513)3月17日、大友家の縁の一族、鎧岳城よろいだけじょう主戸う戸次親家べつきちかいえの子として生まれる。

しかし、幼い頃に母を失い、父も病気がちだったため、父の後添いで、後に道雪と共に大友家の三老である『大友三老』といわれた臼杵鑑速うすきあきすみの姉に育てられました。

初陣は1526年にあった大内義隆おおうちよしたかとの戦い。

この戦では、大友三老の一角を担う戸次鑑連べつきあきつら(後の立花道雪たちばなどうせつが、弱冠十三歳で父の名代として三千の兵を率い出陣します。

馬岳城うまがたけじょうの五千の兵を相手に猛攻をかける!

初陣で敵将を捕縛し『ほぼ降伏』な和睦をもぎ取り、一躍有名人となりました。

天文19年(1550年)、大友家の大友義鑑おおともよしあきがお家騒動(二階崩れ)により死去すると、戸次鑑連べつきあきつら大友義鎮おおともよししげ(後の大友宗麟おおともそうりん)の家督相続を支持します。

その後、戸次鑑連べつきあきつらは肥後に侵攻すると、筑前争奪戦、毛利、龍造寺りゅうぞうじ、島津との戦を展開!

以来、生涯三十七度の戦いに全てに勝ちをおさめたと言われます。 

ただ天正3年になると、城督のいっさいがっさいを愛娘『誾千代ぎんちよ』に 譲ってしまいました。

実は宗麟は『立花姓』を嫌っていたとも云われ、戸次鑑連べつきあきつらには立花姓を名乗らせず、娘に継がせたとも云われます 。

そのため、誾千代ぎんちよはなんと7歳で立花城の城主となり、以降6年当主となります。

永録5年、 大友義鎮おおともよししげが剃髪し、宗麟そうりんと名乗ると戸次鑑連べつきあきつら剃髪ていはつ道雪どうせつと名乗るようになり、後世の呼称で立花姓を冠し立花道雪たちばなどうせつと呼ばれるようになりました。

余談ですが、ここまでお読みの方はお気付きかも知れませんが、この頃の大友家の武将達は皆さん、読み方が難しい!

一説に『読み方を難しくするのが流行った』とのお話を聞いた事がありますが、なんとも迷惑な流行りです・・・

◆道雪のここがすごい!「稲妻の中の雷神を一刀両断に斬り伏せた

道雪は『雷神』と呼ばれるあだ名を持っています。

当時、道雪が持っていた太刀は、つばに鳥の透かしがある事から『千鳥』と呼ばれていました。

道雪27歳のある夏の日、夕立に遇い木の下で雨宿りをしていた時のこと。

突然その木に雷が落ちました。

この時道雪は、稲妻の中にいた雷神(または雷獣)を、その刀で一刀両断に斬り伏せたという伝説があります。

この時に雷様を斬った千鳥という刀、これが後に雷切らいきりとよばれるようになりました。

元は太刀だったこの刀、雷にあった際に先の方が焦げた為、そこを磨り上げて脇差しにしたと云われます。

事実、現在『雷切らいきり』と云われる刀の切っ先付近には落雷による変色がみられるのだとか。

しかしこの落雷で道雪は半身不随、または足が不自由になるので痛み分けかもしれません・・・

以来、足が不自由になったため、輿こしというおみこしの様なものに乗って戦ったといいますが、そんな状況でも、敵を7人斬り伏せたという記録も存在します。

戦国時代にはありがちな、伝説と現実が入り雑じり『人間離れ』した人物!

天文22年(1553年)には、41歳で家督を譲って隠居していますが、翌歳、肥後に侵攻し菊池義武きくちよしたけを滅ぼすなど、道雪は元気な雷オヤジでした。

◆部下を思い、絶大な信頼を築いたという道雪の名言集

道雪は常々よく配下の武将達と酒をみ交わし、話をしていたといいます。

道雪曰く『武士に弱い者はいない。もし弱い者がいれば、その人が悪いのではなく、大将が励まさない罪による』と言ったそうです。

手柄を立ててない・・・と気落ちしている者には

『武運には運不運があるものだ! お前が弱い者でない事は、私が知っている! だがな、戦いに出る時に功を焦って死んでしまうのは不忠ふちゅうである! 生き延びてこい! 私はお前たちがいるからこんな老体でも敵を恐れずいられるのだ!』

と語った。

そうなするとその武者は、道雪の言葉で奮起し、戦で大活躍する!

それを見て『見よ!この道雪の目に狂いは無かった』と、大声で誉めたのです。

そんな道雪だったので、輿に乗っている道雪の周りには命を惜しむ者はいませんでした。

お酒の席で部下がへまをしても『今、私の部下が失礼をしたがこの者は戦場では何人分もの働きをする。特に槍の扱いなどは当家一であろう』(抜粋)と客に話し部下に恥をかかせませんでした。

また、ある家臣が道雪の侍女に密通して問題になった時も道雪は次のように笑い飛ばしたとそうです。

『若いのだから当たり前だ! たかが色恋で人を罰したり、処刑したりするには及ばない。人の上に立って、主と言われる者が、そんな事で人を殺せば、その主は部下に裏切られる。法を犯した訳ではないんだから』

この言葉を聞いた武将は、後に道雪を守りながら戦死したと云う。

道雪はそんな武将だったそうな。

輿こしに乗って叫ぶ道雪はいつしか『鬼道雪』と呼ばれました。

◆まとめ

部下に慕われた道雪。

下の声を聞き、決して『上に媚びず』、部下への褒美や賃金、声掛けを惜しまず。

知識と軍略を兼ね備えたその『実力』で大友家に仕えた道雪はまさに『理想の上司』だったのではないでしょうか。

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