実は『女性将軍』? 謎多き将軍『徳川家重』の生涯に迫る!
特集
2020.05.10
(徳川家重像 出典: Wikipedia)
徳川第9代将軍として、15年間在任した『徳川家重』
実は『女性説』もあったとか?!
謎多き将軍、『徳川家重』の魅力に迫ります!
目次
◆徳川家重ってどんな人?
(徳川家重像 出典: Wikipedia)
・生涯:1712年〜1761年(享年 49歳)
・出身地:江戸
・江戸幕府第9代将軍
・病弱であり、また生まれつき言葉があまり流暢ではなかった
・家重が女性という説もある
◆徳川家重のここがスゴイ!
(『徳川葵』 徳川家家紋)
『徳川家重』は9代目の将軍様で、お父さんは8代目『暴れん坊将軍』徳川吉宗!
まだ吉宗が将軍になっていなかった頃に家重は生まれました。
当時はドロドロの権力闘争真っ只中の頃ですね。
その権力闘争に打ち勝った吉宗さんは見事将軍に!
権力を磐石にしたい吉宗さんは当然息子を将軍に!
ところが、家重さん、お父さんには似ず、生まれつき虚弱で、脳性麻痺のような障害(遺体調査によれば『歯ぎしり』の跡(アテトーゼタイプの脳性麻痺の典型的症状といわれている)があり、それにより言葉があまり流暢ではなかったようです。
それでも延享2年(1745年)に家重は第9代徳川将軍に就任しました。
ただ家重が就任以降6年に渡り吉宗は大御所として君臨したのです。
これは家重の長男、『家治』が聡明で、孫を将軍として周囲に認知させるまで頑張った、
ということが真相のようです。
事実、吉宗は病弱だった家重にはやらなかった帝王学や武術の手ほどきをしています。
周りからは、『吉宗じいちゃん、孫が可愛いんだ。』
としか映らなかったでしょうが、吉宗の周到な計画だった様に思えます。
家重は肖像画では口が曲がった姿で描かれていますが、遺体調査から歴代将軍の中でも、最も整った顔立ちだったことが判明しています。
また、家重にはこんなお話もあります。
”家重さん、白河公を登用し、重んじましたがあるいさかいが!
白河公、副産物を禁止し、農家に米だけを作らせた。
もともと稲作に適さない場所にまでやらせたから大変!
不作で米価は上昇、農家は粟も稗も食えない!
そして家重は自分の好物の生姜も禁止した。
ある日「あれ?生姜がないぞ!」とおっしゃる家重様。
白河公の政策と知り問いただすが、一度禁じた農作物が明日生えるほど農業は甘くない!”
かくて、暫く生姜の食べられなかった家重様、白河公との確執が始まったとか・・・
げに食い物の恨みは恐ろしいですね。
◆徳川家重は実は『女性』だった!?
(増上寺 こちらに『徳川家重の宝塔』がある 東京都港区芝公園)
また家重には『ある噂』があります。
『家重女性説』です。
瀕尿として知られる家重は実は『尿意』ではない『厠に行く用事』があったのでは? と噂されていました。
言葉が不明瞭で側近の大岡忠光や田沼意次にのみ聞き取れる声でしか話しておらず、将軍の声を聞いた人がほとんどいなかったのは『女声』だったから? という説があります。
遺骨調査でも頭蓋骨や骨盤が女性のような形であったこと。
また歴代の将軍の遺骸は胡座だったのに対し、家重のみ『女性型』の正座の姿勢だったこと。
など…
こういう『史実の隙間』って興味あります♪
史実は事実にはなり得ず。
真実でもないが、現実である。
◆まとめ
将軍のプライベートというのは、ほとんどが官僚による『検閲』が入るようです。
その為かその将軍像がやってることと『像』がずれる事があります。
女性説は荒唐無稽過ぎるかもしれませんが、隠しすぎると『状況』と実像にズレが出ることもあります。
これが実は作家心をくすぐるのです!
歴史に『もしも』はない! という。
でも、その『もしも』はヒットドラマを生み出す事があります!
本当は? それは学者先生にお任せしましょう。