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遠山の金さんが浅草を『演芸の街』に変えた!? 官民の架け橋として金さんの生涯に迫る!

名奉行『遠山の金さん』は実在の人!

町民からの信頼が厚い金さんも若い頃は不良だった?

浅草演芸の恩人と言われる、遠山金四郎の生涯に迫っていきます!

 

◆遠山金四郎ってどんな人?

(出典: Wikipedia)

・生涯:1793年〜1855年(享年 63歳)

・出身地:武蔵国

・本名は遠山景元かげもと

・町奉行として官民の架け橋であった

・時代劇『遠山の金さん』のモチーフとなった人物

◆金さんの家庭(家系)はちょっと複雑すぎた?!

(遠山家家紋)

遠山家は明知遠山家という鎌倉時代から続く名門の分家筋。

その遠山家の6代目が遠山金四郎景元かげもと。この人物こそ時代劇で有名な『遠山の金さん』です。

金さん、実は家庭(家系)が複雑でした。 

遠山景好は子どもがいなかったため、景晋かげくにさんという方を養子に迎えます。 

ところが、養子を迎えるシチュエーションにはよくあることですが、景好が養子を迎えた3年後に実の子どもである景善かげよしが誕生しました。 

江戸時代、武家の跡継ぎは届け出をして『承認』されないといけない決まりがあり、この時 

は既に景晋かげくにさんが世継ぎとして「届け出」済みでした。 

当時はこの跡継ぎの『承認』を変更することは基本的にできなかったようです。

方や本当の息子、一方は昌平坂しょうへいざか学問所の学問吟味で最優秀(今で言えばセンター試験、全国1位くらい)を取るほどの養子の景普かげくにさん。

どちらの子どもにも情のあることは当然です。

そこで、おじいさんとお父さんは考えました!

養子の景普かげくにの子を、実子である景善かげよしの養子に迎える作戦!

ややこしいですね・・・

こうして実の子景善を養子にした養子の子が金四郎、つまりは金さんです。

*ちなみに金さんにはなんと滝川家、榊原家、堀田家という江戸幕府のそうそうたるメンバーの血が流れてます。

そのような『難しい』所に嫌気がさしたのか、若い頃には堅気でない人間と付き合い、その頃に『彫り物(入れ墨)』もしたようです。

◆将軍からの信頼も厚い名奉行、遠山金四郎!

(長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡 東京都墨田区)

後にお父さんが亡くなって『遠山家の当主』となった金さんは、当時の将軍であった徳川家 

斉の嫡男、家慶いえよしのお世話係になります。 

ここからは順々に小普請こぶしん奉行、作事奉行、勘定奉行と奉行職を歴任し、天保11年、ついに 

北町奉行、つまりは『民衆』に直接関わる役職に任命され、気合いを入れ直して民政に取り組んだそうです。 

ところが、翌年から始まった『天保の改革』に真っ向から対立。金さんは改革の内容に意見 

をし、何度も叱られています。 

なぜ金さんが改革に反対をしたのかというと、改革の内容が町人の娯楽、贅沢禁止命令だっ 

たためでした。 

南町奉行の矢部定謙やべさだのりと共に、老中水野忠邦や目付の鳥居耀蔵とりいようぞうと対立するのです。

そのような状況で、南町奉行の矢部定謙やべさだのりは鳥居らが仕掛けたワナにはまり獄死してしまいます。

鳥居は金さんにも言いがかりをつけてワナにはめようとしたのですが、実は金さんには将軍からその奉行としての裁きが見事だという『お墨付き』をもらっていました。

このお陰で金さんは助かったといわれ、そしてこのお墨付きを出した将軍というのが、幼い頃金さんにお世話してもらった家慶いえよしだったのです。

北町奉行の後に金さんは大目付という役職に付き、さらにその後『南町奉行』に任命されます。

◆金さんの町奉行の仕事は相当な激務だった?! 

(北町奉行所跡 東京都千代田区丸の内)

江戸の場合『北町』『南町』の両奉行所がありましたが、これらの奉行所は江戸の南北にあった訳ではありません。

だいたい江戸城の大手門の近く、200mくらいの距離に2つ建っていました。

常盤橋門内にあった北町奉行所が、南側の数寄屋橋門内に移転したり、また呉服橋門内にあった奉行所が北町奉行所となったり、いろいろ移転や変更はありましたが、そうって言っても『どこ?』という方も多いかと思います。

いわゆる典型的な『時代劇』という文化文政頃の地理で言えば、両奉行所があった場所は現在の東京駅の北側と南側。

北町奉行所は現在の東京駅八重洲口の最近新しくなったデパートの北側あたり、南町奉行所は有楽町マリオンあたりで、移転した場合もだいたいこの近所。

『何でそんな近所に2つも?』と、思う方もいるかと思うのですが、実は南北両奉行所は『月番』と言って1ヶ月交代だったのです。

なぜ1ヶ月交代かと言えば・・・1つは、仕事が多過ぎたことが理由でした。

町奉行は民政はもとより警察、裁判所の役目があり、寺社、街道、牢屋奉行などに被る業務、さらには郵政(飛脚)、消防(町火消し)と、実際にはかなりの広範囲の行政も担っています。

現在で言えば町奉行とは警察署長、東京消防署長、裁判所長、郵便局長と東京都知事を1人でやっているようなものです!

そのような大変な業務を1ヶ月間行い、その後は業務の処理や事後整理をしていました。

ちなみに江戸時代は『閏月うるうづき』を入れて13ヶ月だったので、毎年年末年始に勤務も交代になります。

しかもこの激務の前に江戸城に『出勤』して、幕臣としての業務をやってから奉行所に出勤です。

もうこの大変な業務を続けるだけで寿命が減る勢いなのが想像できます。

今より市民や事件が少なかったとはいえ、どれか1つの仕事でもキツいのに、そのような中で市民のことまで考えていた金さんはすごいですよね。

◆金さんのここがスゴい! 浅草の演芸を救った『アイデア』とは!?

金さんは天保の改革でいじめられている町人達を色々と妙案で助けます。

例えば『お菓子屋さんは”娯楽品”なのでけしからん! 商売を変えろ!』

と命令されたお菓子屋さんのおばあちゃんが困って金さんに訴えました。

金さんは『なぁばあさん、品物の中に”薬”を1つだけ仕入れておきな! そして店の看板に”薬屋”って書き直しておけばいい!』

と助言をしたそうです。

また、『芝居は娯楽だ! けしからん! 江戸からなくせ!』

と言われた役者達や芝居小屋の経営者には、

『浅草に引っ越しな! 江戸市中からちょっとでも外れりゃいいんだよ!』

とぎりぎりの、官僚としてはアウト寸前のアドバイス!

当時の浅草は江戸の端っこでした。いわゆる『1mでも県境の外に出れば出たことになる』ということですね。

この芝居小屋移転から浅草は「演芸の街」の走りになったのでした。

◆まとめ

金さんが人気だったのは、こうした『生きた』官民の架け橋であったからでしょう。

ところで、金さんの話になるとどんな彫り物をしていたかという質問をする方がいます。

桜だったんじゃないかとかドクロだったとか。

でもそのような詮索せんさくをするなんて、そいつぁ『野暮』ってものですよ。

ただ、時代考証家の稲垣史生さんによれば、奉行時代はしきりに袖を気にして、袖がめくり上がるとすぐ下ろす癖があったそうです。

 彼の晩年の肖像画は千葉県立中央博物館大多喜分館、千葉県の大多喜城に所蔵されています。

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