【日本酒】(1)実は2000年前から『日本酒』は存在していた?!
特集
2020.07.19
お酒といえば、ビール、ウイスキー、ワインなどがありますが、
日本のお酒といえば『日本酒』ですよね。
最近では海外での『日本酒』の人気が増えており、海外への輸出量も増えているようです。
そんな日本酒ですが、実は2000年前から飲まれていたという説もあります。
今回は、身近ではあるけれど意外と知らない日本酒の『歴史』について見ていきます。
◆『日本酒』は2000年前から飲み始められた?? 『日本酒』が始めて書物に出てきたのはいつ??
今ではお酒を飲む文化は日常的なものになっていますが、日本ではいつからお酒が飲まれていたのでしょうか。
お酒、そして日本酒がいつから飲まれ始めたのかを見ていきましょう。
日本ではいつからお酒が飲まれ始めたかというと、諸説ありますが縄文時代(約1万6000年前〜3000年前※諸説あり)にはお酒が飲まれ、そのお酒は日本酒ではなく果実酒であったと言われています。
長野県の八ヶ岳にある遺跡で、縄文土器の中にヤマブドウの種子が入っているものが発見され、このことから果実酒を飲んでいた可能性があると考えられ、縄文時代から日本人はお酒を飲んでいたのかもしれない、ということです。
また、日本酒の主な原材料の一つである『米』は弥生時代(紀元前300年〜西暦250年※諸説あり)に中国から伝わってきたとされており、日本酒はその時代から飲まれているのではないかという説もあります。
日本の書物として記録に残っているのは、奈良時代(西暦710年〜794年)に編纂された日本最古の歴史書である『古事記』(西暦712年)に『お酒』が登場しました。
その内容としては、日本神話の神である須佐之男命(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するために造ったものが「八塩折之酒(やしおりのさけ)」、お酒で蛇を退治するというものです。
ただ、書物の記録だけをみると、このお酒の原材料に『米』が使われているか(日本酒であるかどうか)はまだ分かりません。
ただ、この時代にはすでに中国から米が伝わっていたので、日本酒の可能性もあると考えられています。
お酒の原材料に『米』が使われていたとされる最古の書物は『大隅国風土記』(西暦713年以降に執筆されたとされる書物)で、この書物には、加熱した穀物(米)を口でよく噛み、唾液の酵素で糖化させ、野生酵母によって発酵させる「口噛み」という手法を用いてお酒を造っていた、といったような内容が記されているようです。
この時代に『米』を原材料としてお酒を造られ始めた、つまり『日本酒』が造られ始めたとされる説が有力とされています。
◆『日本酒』はお坊さんが作っていた?『日本酒』の時代の変遷に迫る!!
日本酒は時代の変遷によってどのように作られ、どのように飲み方が変わっていったのかを見ていきましょう。
日本酒の歴史には様々な説がありますが、今回は初めて書物に日本酒が登場した『奈良時代』(西暦710年〜794年)からみていきたいと思います。
日本酒の主な原材料として、『米』、『米麹』、『水』がありますが、そのなかの『麹』が中国から伝来し、『米麹』による日本酒造りがスタートしました。
(米麹)
また、造酒司(さけのつかさ)というお酒を造る専門の役所が朝廷に設置され、計画的なお酒造りが始まります。
当時の日本酒の意味合いとしては、主に作物などの豊作祈願として神様に向けてのもの、宗教的行事として飲むためにといったもので、まだ庶民には日本酒は普及してはいなかったです。
『平安時代』(西暦794年〜1185年)になると、朝廷内で造られていたお酒造りの技術などが外部に流出するようになり、主に大寺院の僧侶の間にお酒造りが広まっていきます。
なぜ大寺院の僧侶かというと、当時の時代背景としては荘園(お金持ちが所有する広大な土地)から寺院に大量の米が入ってきて、また修行僧など人員も多くいるなど、日本酒造りの環境が整っていたため広まっていきました。
僧侶が造るお酒のことを『僧坊酒』(そうぼうしゅ)と呼ばれたようです。
当時の代表的な日本酒としては奈良の『南都諸白』、大阪府河内長野市の『天野酒』というものが有名でした。
また日本酒造りにおいての主原料『米』、『米麹』、『水』を用いた酒造りの製法が当時の書物(延喜式)に記録されており、この時代から現在の製法が始まったとされています。
『鎌倉時代』(西暦1185年〜1333年)になると、大寺院だけでなく民間の間にもお酒造りが広まっていき、宗教的行事だけでなく日常的に日本酒が飲まれるようになっていきました。
そして京都を中心に『酒蔵』が造られるようになっていきます。
(酒蔵の大桶)
武士たちの間にも日本酒を飲むことが広まっていき、酔っ払って体調を崩してしまうことや、騒動を起こすといったことが多発しました。
そのため、幕府は沽酒禁令(こしゅきんれい)というものを制定し、お酒の販売の制限や、酒壺(さけかめ)を一家に一個までと制限をし、問題解決を図りました。
『室町時代』(西暦1336年〜1573年)になると、一般庶民の間にも徐々に日本酒が広まっていき、酒屋ができるなどして一般的な飲み物として普及していったのです。
また、日本酒造りの製法も現在のものに近づいていき、現在の日本酒造りで用いられる火入れや段仕込み方などといった製法が用いられていったとされています。
『江戸時代』になると、日本酒の大量生産が可能になり、また商人によって日本酒が商品として販売され、本格的に日本酒が大衆に広まっていきました。
また現在に通ずる日本酒の製法を確立していき、鉄分が少ない水の方が美味しくできることを発見するなど、さらに発展をしてきました。
そしてついに日本酒が海外に輸出されます。
主に東南アジアなどに輸出され、食前酒として飲まれることが多かったようです。
『明治時代』になると、現在も使われている『一升瓶』で日本酒が販売されるようになりました。
『一升瓶』が用いられる前は、桶やかめで量り売りがされていましたが、衛生面にいいことから『一升瓶』を用いるようになったようです。
(一升瓶)
◆まとめ
日本酒の歴史について見てきましたがいかがでしたでしょうか。
説は様々ありますが、弥生時代から作られていたとは驚きでした。
次回は日本酒の種類、製法などをみていきます。