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あの勝海舟も認めた『徳川家茂』とは? 悲劇の将軍、徳川14代将軍の生涯に迫る!

(出展: Wikipedia)

徳川第14代将軍として活躍した『徳川家茂いえもち

若くして亡くなってしまったが、将軍としての器はあの勝海舟も認めていたとか!?

若い頃から利発な将来を期待された将軍、『徳川家茂いえもち』の生涯に迫ります!

◆徳川家茂ってどんな人?

(出展: Wikipedia)

・生涯: 1846年〜1866年(享年 21歳)

・出身地: 江戸

・江戸幕府第14代将軍

・ナポレオン3世とかいこを通しての交流があった

◆数奇な運命で家茂は藩主から将軍に!

徳川14代将軍の家茂いえもちは紀州徳川家の徳川斉順なりゆきの子、11代将軍・家斉いえなりの孫にあたります。

叔父である紀州徳川家12代藩主の徳川斉彊なりかつが早く亡くなったため、家茂いえもちは養子となり4歳でその跡を継ぎました。

徳川11代将軍の家斉いえなりから家慶いえよしに12代将軍職が譲られ、さらに13代将軍も家定いえさだが将軍を継ぐことになりましたが、家定いえさだには子供がいません。

そのため、遡って従兄弟である家茂いえもちが最有力ということとなり、今度は徳川家定いえさだの『養子』となって将軍候補となりました。

ところが! 将軍の後継ぎというものはどの時代においてもすんなりと決まるものではありません。

家茂いえもちは江戸幕府の将軍に一番近い血筋にあり、また大老・井伊直弼の後押しもありましたが、それにも関わらず対立候補が上がりました。

その対立候補が後の15代将軍慶喜よしのぶです。

この時の次期将軍の地位を巡り家茂いえもち慶喜よしのぶの両者陣営の争いは、幕府はおろか、江戸城の中でも真っ二つに意見が分かれました。

時は黒船来航など外国問題で揺れている時期で、「この難局を越えられる実力者は慶喜よしのぶである」と主張した慶喜よしのぶ陣営でしたが、実は慶喜よしのぶは一橋家に養子に入った水戸徳川家『斉昭なりあき』の子だったのです。

このころ、水戸家は強行的な『尊皇攘夷そんのうじょうい』思想と姿勢で幕府からも煙たがれ、大奥にも口出しをしていたため、彼女らとも対立していました。

しかし女性を怒らせると恐いのは今も昔も変わりません。

先代将軍、家定いえさだの生母・本寿院ほんじゅいんが『斉昭なりあきの息子を将軍につけるくらいなら!』と自殺未遂の抗議をしました。

 これが決定打となったかは定かではありませんが、この後家茂いえもちは将軍の座につきました。

こうして紀州家・大老・大奥の3方を味方につけた家茂いえもちは2回の養子入りを経て、4歳で紀州徳川家を継ぎ、13歳で将軍となりました。

◆家茂のここがスゴい! 慶喜に決して劣っていなかった『心』とは?

13歳で元服し将軍となった家茂いえもちは『優秀な将軍になるんだ!』と学問に努めて、武道に打ち込み、その健気な姿に家臣たちも胸を打たれたといいます。

そんな家茂いえもちは戸川安清やすずみという家臣に習字の指導を受けることになりました。

ある日の習字の稽古中、家臣達が見守る中でいきなり家茂いえもち安清やすずみに水をかけ大笑いをし、『続きは明日にしよう♪』と言って出ていってしまうという事件が起きたのです。

これに家臣たちは『あんなに健気に頑張っていたのにどうしたのだ? いくらなんでも・・・』と安清やすずみを見ると彼は泣いていました。

余程に屈辱だったのだろうと家臣達が声をかけると、彼は『家茂いえもち様は悪くはない!』と訴えたのです。

実は70歳を越える高齢の安清やすずみははずみで失禁をしてしまい、それに家茂いえもちは気づきました。

当時は将軍に稽古をしている真っ最中に粗相をしたとなると厳罰に処されます。

そこで粗相に気づいた家茂いえもちは機転を利かせて、わざと水をかけて隠してくれたというお話です。

そして『続きは明日』というのは明日も気にせず来るようにという意味の発言だったという訳で『感激』の涙だったのですね(『幕末小史』より)。

13歳でこのようなことができたことを考えると、決して家茂いえもち慶喜よしのぶに劣っている訳ではなく、言ってしまえば知識ではなくの部分がとても優れた将軍であったと言えます。

◆あの勝海舟も認めた家茂のリーダーシップとは?

文久3年(1863年)4月、家茂いえもち勝海舟の指揮する幕府の軍艦『順動丸じゅんどうまる』に乗って大阪視察を行いました。

この時に勝海舟は『軍艦を動かせる人材の育成』を直訴し、家茂いえもちは快く神戸海軍操練所の設置を命令したというエピソードがあります。

決断のスピードもさることながら、勝海舟の直訴は「様々な人を中継して意見を言っていたのでは拉致があかない!」「トップの人に会えた時に!」と考えての大博打でした。

このことを『理解』して許可をおろした家茂いえもちの判断のスピードもやはり非凡さが見えますね。

その航海の途中、海が荒れて船に酔う者が続出した時にも、家茂いえもちは狼狽える家臣に『海上のことは軍艦奉行に任せよ』と言い放ちました。

勝海舟はこの信任に感激したといわれています。

結果この後12月の大阪視察も、大阪から江戸に3日で到着(陸路では22日!)するため『順動丸じゅんどうまるを使う』ことになりました。

陸路で行くのは経費もかかり『威厳を示すため』という行為と19日間の短縮という『実』を取った部分、また海のことは艦長にという命令系統の明確化をすることなどから家茂いえもちの優れたリーダーシップが感じられます。

◆家茂の『心』は海を越えた!?

1850年代にヨーロッパでかいこの病気が流行り、絹が大打撃を受けた出来事がありました。

この出来事を知った家茂いえもち日本のかいこをナポレオン3世に送ります

これを元にフランスでルイ・パスツールがかいこの病気を研究し、昆虫記の著者であるジャン・アンリ・ファーブルの指導の下、日本のかいことかけあわせた品種改良にも成功したようです。

かいこの返礼品としてナポレオン3世は慶応3年、アラビア馬26頭を家茂いえもちに贈りました。

しかし、家茂いえもちは慶応2年に第二次長州征伐の遠征中に大阪城で倒れ、そのまま亡くなってしまいます。

満20歳という若さでした。

勝海舟は時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれぬ。武勇にも優れていた人物であったと語り、その訃報を聞いた時に徳川家、今日滅ぶと記したそうです。

晩年、勝海舟は家茂いえもちのことを聞かれると『お気の毒の人なりし』と、涙を浮かべていたと 言われています。

◆まとめ

慶喜よしのぶをクローズアップするため病弱や平凡、若く頼りない姿で描かれることが多い家茂いえもちですが、優れた人物であることを示すエピソードは非常に多いです。

しかもその生涯はたった20年という短い人生でした。

数奇な境遇で紀州徳川家の藩主になり、将軍になり、海を越えてフランスのナポレオン3世、パスツール、ファーブルともつながりを持った、そんな将軍がかつていたでしょうか?

さらには偏屈の勝海舟から、これほどまでに賛辞された将軍です。

これらはすべて家茂いえもちはがそういう『人の心』がわかる将軍だったからではないでしょうか。

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