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実は健康オタクだった?!国崩しのエキスパートである徳川家康の生涯に迫る!!

1600年の関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍を破り、江戸幕府を開いた徳川家康。

信長、秀吉に並ぶ英傑えいけつとして家康を知らない人はいないと思いますが、今回はそんな家康の知られざる一面についてご紹介します!

 

◆ 徳川家康ってどんな人?


(出典:Wikipedia)

・出身地: 三河国(現在の愛知県)

・生涯: 1542年〜1616年(享年 75歳)

・織田信長と同盟を結び三河国を統一

・260年以上も続く江戸幕府を築いた

・大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす

◆ 徳川家康の生涯を振り返る「家康は国を斬り崩すエキスパートだった」

家康は松平氏の第8代当主・松平広忠の嫡男竹千代として岡崎城で生まれました。天文11年(1542年)12月26日です。

織田と今川に挟まれていた松平家の事情もあって、3歳のころ母と生き別れになり、6歳で盟主国と言うべき今川氏の人質となります。

ところが、ここでハプニングが!

なんと今川への護送の途中、織田家にさらわれてしまうのです!

彼はそのまま2年もの間、人質として織田家で過ごし、このとき信長と知り合ったというエピソードもあります。

その後、人質交換があって竹千代はやっと正式な今川の人質になったのです。

よかったよかった・・・いや、よくない!

そのまま今川家で元服し、今川義元から一字頂いて『元信』と改名。

今川義元の姪の瀬名と結婚すると、永禄元年(1558年)に初陣し、主君義元から旧領と共に刀を貰ったと記録にはあります。

ここで登場するのが、松平信康という人物。

徳川家康の長男です。

当時、家康は今川氏に仕える小大名だった為、幼少期は今川の人質でした。(まあ、これはよくある話ですね)

ただ、人質とは言っても母である瀬名(築山殿)は今川義元の姪です。これはつまり考えようによっては『母方の実家』みたいなものですから、そうそう悲惨な扱いではなかったでしょう。

家康は外では今川にこき使われ、内では嫉妬深い瀬名をなだめ、息子は人質という平和(?)な日々を過ごしました。

そんな折、今は愛知県の桶狭間という場所で、今川義元が無名の若大名『織田信長』相手にまさかの討ち死に!家康の長男である信康も捕らわれの身となってしまいました。

ここからの家康は早い!ソッコーで反旗を翻します!

その後、戦で捕虜にした今川方の鵜殿氏長うどの うじなが氏次うじつぐをもって、今川に人質交換を申し出ました。

これにより信康は無事岡崎城に移ることができたのです。

しかし、ここである疑問が。

家康の『嫡男』と今川の家臣とは『同価値』なのでしょうか?

切り札的には家康の嫡男の方がいい訳ですし、価値を合わせるために他にオマケがついたのか?という意見もあると思います。

しかしこれは、人質の価値以前の問題でした。

『人質交換』を持ち掛けた時点で家康の『目的の8割』は達成していたのです。

ある程度有名な人物を人質交換として『発表』すれば、賛成派と反対派が出ます。そして、中には政治的な事でたもとを分かつ人もいます。

さらに、これを当主である信長が不在のタイミングで持ち掛けるのもエグかった!

つまり結果がどちらに転んでもその国を『揺さぶれる』訳です。

それに気づく者と気づかない者でも意見が分かれ、伊賀者は噂を扇動し、デモをおこします。

そして頃合いを見て『まあまあ』と『楽な条件』を出す。

家康という人物は、内紛をさせたり国の切り崩し方に関してはエキスパート!

その一方で、自らの派閥や家臣には鉄の団結を約束させていて、以降260年の繁栄もこういった土台があればこそでした。

関ヶ原の戦いも、敵である西軍の武将を次々と寝返らせることで、勝利を手にします。

文字通り『天下を手にした』家康でした。

◆ 健康オタクだった家康の命を奪ったのは「鯛の天ぷら」だった?!

関ヶ原の戦いに勝利し、大阪の陣で豊臣を滅ぼし、江戸幕府を開き、諸法度を決め、文字通り『江戸』の基礎を作った直後。

元和2年(1616年)4月17日、巨星墜つ。

家康の75歳(満73歳)という寿命は当時としてはかなりの長生きで、晩年の家康はかなりの健康オタクだったようです。

その趣味の1つには『薬の調合』があり、体にいいものを色々と取り寄せていました。

また、関ヶ原の戦いでは、怪我をした家来に『石鹸』を使用させ、感染症予防をした逸話も残っています。

さらに家康は鷹狩りも好んでいましたが、司馬遼太郎は著書の中で『家康は運動が健康にいい事を知った日本で初めての人物かも知れない』と語っています。

食事も質素で、将軍となってからも戦国武将の頃の食生活を崩さず、麦飯と魚を好み、野菜の煮付けや納豆も好きだったそうです。

家康の死因はたいの天ぷらに当たったというのがよく語られます。(この『天ぷら』は現在のような天ぷらではなく、すり身を揚げた『薩摩揚げ』みたいなものです。)

『薩摩揚げ』が家康にトドメをさしたのか~と思うとちょっと符丁ふちょうめいてますよね♫

しかし、家康がたいの天ぷらを食べたのは家康が命を落とす3ヶ月前の田中城での夕食。

他の資料の記述などを鑑みると、最新の見解としては実は末期の胃癌だったらしいという説が有力のようです。

◆ まとめ

幼い頃から、織田や今川の人質として不遇の時代を過ごしてきた家康は、大人になってからも信長や秀吉に従い辛抱強く自分の時代が来るのを待っていました。

江戸幕府を開いて264年も続く天下泰平の時代を築いた家康は、今の日本を語る上で抜きにできない偉大な人物です。

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