サムライ書房

徳川四天王の『赤備え』井伊直政。『赤心』で家康に仕えた直政の生涯に迫る!

徳川家康の側近家臣「徳川四天王」の一人『井伊直政』。

外様大名であるのに家康に認められた『真心』とは!?

ひこにゃんでもお馴染みの「彦根藩」、その初代藩主井伊直政の魅力に迫ります。

 

◆井伊直政ってどんな人?

(出典:Wikipedia)

・出身地:遠江国井伊谷とおとおうみのくにいいのや(現在の静岡県浜松市)

・生涯:1561年〜1602年 (享年 42歳)

・彦根藩の初代藩主

・徳川側近家臣「徳川四天王」のうちの一人(酒井忠次、本田忠勝榊原康政さかきばらやすまさ

・関ヶ原の戦い、江戸幕府の樹立に貢献した

◆「井伊の赤鬼」は女性たちによって育てられた!?

(彦根城)

井伊直政の幼名は『虎松』。遠江国井伊谷とおとおうみのくにいいのやの出身と云われ、後に初代彦根藩主となります。

2歳の頃に今川の家臣であった父(直親なおちか)が、謀叛むほんの疑いをかけられ殺されてしまいました。

そこにピンチヒッターで、叔母(祖父の娘)が『井伊直虎として当主につく中、今川家臣の新野親矩にいのちかのり庇護ひごの元、母親や親矩ちかのりの妻、妹らの『女性』達に直政は育てられます。

ところが一転! 父親だけでなく自分の命まで狙われた為、出家する事になります!

出だしからハードな人生の幕開けでした。

しかし、直政の母はただでは引っ込みませんでした!

次の時代は家康の時代になる』と目をつけた直政の母は、徳川家臣の松下清景きよかげと再婚します!

これにより直政は松下家に入り、家康に引き合わされ家康の家臣となったのです。そして井伊家の領地、名を取り戻し、晴れて当主として返り咲いたと云われています。

直政の有名な逸話に道端で会ったという話があります。

このお話は直政が身分の低い『民衆の中に混じっていた』というもので、直政が民衆の中にきちんとしたお辞儀をしている姿を見て、家康達が『これは見事な所作である』と声を掛けた、というエピソードです。

この話の信義は別として、「身分の低い方が大成するのは真にその人物が優秀だからである」と言った歴史家さんがいましたね。

成長した直政は小柄で、少年のような風貌。眉目秀麗びもくしゅうれい、礼儀正しい若者となり、特に『年上女性』に大人気でした!

人質として家康の元に送られた秀吉の母の大政所おおまんどころ、さらには侍女一同『護衛は是非直政に』と言ったくらいのモテ振りでした。

しかし、決して『優男』ではなく、体には無数の傷跡が残る『猛者』振りが見て取れ、性格は負けず嫌い、寡黙で厳しかったですが、色んな武将に『作法が見事』と称賛されています。

◆直政の『ここがスゴい!』家康の心を掴んだ直政の真心とは!?

(井伊の赤備え)

1616年、まるで『やることはやり終えた』と言わんばかりに息を引き取った家康

彼は生涯、色々な言葉を残していますが、その中に『人を信用させるには一番何が必要か?それは「真心」だ』というものがあったそうです。

家康は『ここぞ』という働きをした者に破格の御礼をすることがありました。

だからこそ家臣は『家康のため!』と働いたのですね。

井伊直政もその1人でした。

また、直政の逸話として、敗走中に腹ぺこの家康がお供えものの赤飯を見つけ、みんなでそれを分けようとした時に、直政は食べずに『私はここで敵を食い止めます!死にゆく者に飯は不要』と言って殿(しんがり)を務めたという話があります。

無事に生き延びた家康は、直政を側近に取り立てると、後に武田の旧臣達を中核とした一軍を与えて『井伊の赤備え』という家康軍屈指の精鋭部隊を率いる事となります。

家康が一番恐れた部隊の指揮官に直政は任命されたのです。

直政は厳格な規律(超スパルタ!)で家臣団をまとめ『家康の忠臣』となります。

小柄でも真っ赤な重装備の鎧に、かぶとには角の様な立ものを付けた直政は『井伊の赤鬼』といわれております。

◆実は死にかけていた関ヶ原の戦い

伊賀越え、姉川、小牧・長久手、小田原と、家康の主な戦にはほとんど参戦している直政。

当然、関ヶ原も本陣にて司令官の1人を務めました。

関ヶ原の戦いは直政が抜け駆けして開戦となった説がありますが、これは『霧の為の偶発的な事故』というのが定説であり、抜け駆け説は否定されています。

ともあれ、関ヶ原の戦いは始まり、直政も寝返り工作に力を貸し、結果として直政が所属する家康軍(東軍)は勝利することになります・・・

しかし!

その終盤戦、島津軍の追撃戦の時のことでした。

世界の戦でも前代未聞の『敵本陣に向かって退却』を敢行した島津軍!

誰もがあっけに取られる中、井伊直政隊が島津軍を追撃!

島津軍の島津豊久を討ち取り、島津軍に迫ります。

ところが、島津軍の『すてがまり』という捨て身の戦法に追撃が遅れてしまう。

この戦法は逃げる際に何人かが捨て身で残り、追撃してくる敵に鉄砲を撃てるだけ撃って、弾が尽きたら特攻する『必死』の戦法です。

しかし、この追撃戦の中、直政が先行し島津軍の総大将、島津義弘に迫ります!

その時、島津軍の狙撃の銃弾が直政を襲いました!

島津の銃弾を身に受けた直政は落馬し、島津軍を取り逃がすことになってしまうのです。

井伊直政は大怪我を負うものの関ヶ原を戦い抜きました。

直政は戦の後に、毛利輝元、長宗我部盛親ちょうそかべもりちか、島津家、真田昌幸・幸村(信繁)親子等といった、そうそうたるメンバーの武将達の助命等をとりなしました!

また、和平交渉や講和の使者としても活躍したようです。

江戸幕府の確立にも力を尽くしましたが1602年、関ヶ原で受けた1発の銃弾が元で死亡したと云われています。

◆まとめ

直政は体中に傷のあることでも有名ですが、家康はその直政の傷を見て涙したという逸話もありました。

小柄で美形、礼儀正しく所作美しく、年上女性に大人気! 負けず嫌いで規律に厳しい『赤心(真心)の武将』。

彼の『井伊家』は幕末まで徳川に仕え続けます。

現在、その姿は人気ゆるキャラ『ひこにゃん』に受け継がれ、彦根の井伊直政の人気が伺えます。

歴史上においてどのような存在であるかというよりも、『愛されている』という事実が直政の『人となり』なのではないでしょうか。

おすすめの記事

ピックアップ記事

  1. サイコでサイコーなサムライ!?源義経の素顔

    2022.06.17

  2. 和泉守兼定と共に駆け抜けた、土方歳三の物語

    2022.02.19

  3. 「ナチュラル・ボーン・徳川キラー」真田幸村の生涯に...

    2019.07.17

  4. あの家康が恐れた身長190cm超の大男、豊臣秀頼の...

    2019.07.17

  5. 【明智光秀】2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主...

    2019.07.17

人気ランキング

  1. あの家康が恐れた身長190cm超の大男、豊臣秀頼の...

    2019.07.17

  2. あの信長も折れた『前田利家』とは??『槍の又左』と...

    2020.03.22

  3. 戦国最強と言われた武田軍を率いた武田信玄!その強さ...

    2020.03.14

  4. 10人の兄のうち9人が平家についた源氏きっての弓の...

    2019.09.19

  5. 【源義経】平家討伐の立役者。その生涯とは? 戦上手...

    2020.02.22

新着記事

  1. サイコでサイコーなサムライ!?源義経の素顔

    2022.06.17

  2. 和泉守兼定と共に駆け抜けた、土方歳三の物語

    2022.02.19

  3. 鬼武蔵を兄にもつ森蘭丸。 信長の最も有名な小姓は...

    2021.01.15

  4. 思想家で発明家で兵学者だった『佐久間象山』️幕末の...

    2020.11.13

  5. 【織田信長】(3)『天下統一』目前にまさかの裏切り...

    2020.08.30

注目キーワード