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足利義昭は貧乏公方ではなくバイタリティー溢れる将軍だった!? 室町幕府最後の将軍の生き様とは?

(足利義昭像 出典: Wikipedia)

室町幕府の第15代将軍で、室町幕府最後の将軍。

兄・義輝の死、流浪、追放されて諸国を流浪した経緯から『貧乏公方』と言われた足利義昭よしあきとはどのような人物なのでしょうか?

今回は室町幕府最後の将軍『足利義昭よしあき』の生涯に迫っていきます!

 

◆足利義昭ってどんな人?

(足利義昭坐像 出典: Wikipedia)

・生涯:1537〜1597年(享年 61歳)

・出身地:京都

・室町幕府第15代将軍

武田信玄上杉謙信らと共に『信長包囲網』という対信長に対しての布陣を形成

・将軍追放後は秀吉の側近になり『御伽衆おとぎしゅう』という地位を与えられる

◆若い時の義昭を成長させたのは苦難の連続から?

(『興福寺』 奈良県奈良市)

足利義昭よしあきは織田信長や他の武将のお話では『情けない公家』として描かれることが多いですが、前代までの将軍たちとの大きな違いがあります。

それは『数多くの戦を経験して生き残っている』ということです!

数々の危機や戦をくぐり抜け、戦国時代において後に『信長包囲網』と呼ばれるものを作り上げた将軍は他に類がありません。 

しかも義昭よしあきは安穏としてまわりに任せていた訳ではありません。

義昭よしあきは『自ら動く』非常に、バイタリティーのある将軍でした。 

義昭よしあきは室町幕府第12代将軍・足利義晴の子で幼名は千歳丸。

兄の義輝が将軍についたため、義昭よしあきは出家し法名を覚慶かくけいと名乗り、高僧になるために修行の日々を過ごしました。

しかし! 兄の義輝が三好三人衆(三好長逸ながやす、三好宗渭そうい、岩成友通ともみち)らに殺されてしまったのです。(足利義輝松永久秀の章参照)

この時、義昭よしあきも捕まって興福寺(現在の奈良県)に幽閉されてしまいます。

義昭よしあきは将軍・義輝の弟で、その後継ぎ候補であり、さらには大和(現在の奈良県)一帯に勢力をもつ興福寺の住職候補でもありました。

義昭よしあきを殺せば、将軍擁護勢力や興福寺を敵に回すことになります。

松永久秀も馬鹿ではありませんので義昭よしあきを幽閉し様子をみた訳ですが、義昭よしあきは兄の義輝の側近であった和田惟政これまさ・細川藤孝ふじたからに助けられて強行脱出に成功!

これも、大変なバイタリティーですね。

しかも大和から木津川をさかのぼり伊賀(現在の三重県)、甲賀(現在の石川県)を越え近江(現在の滋賀県)の和田城に入ります。

ここで『正統な血筋による将軍家の再興』をスローガンに還俗げんぞく、つまりお坊さんの身分を改めて『将軍』になることを宣言。

朝倉義景よしかげ義昭よしあきの元服の儀式を務めたといいます。

ところが! 

兄の13代将軍足利義輝を殺した三好三人衆らが、義昭よしあきの従兄弟の義栄よしひでを14代将軍としてしまいました。

これによって宙ぶらりんな状態になってしまった義昭よしあきは巻き返しにかかります。

◆強力な武将らを揃えた『信長包囲網』! しかしその結果は・・・

将軍になるなら上洛、つまり京都の朝廷に行って『御挨拶』をしなければなりません。

義昭よしあきは当時、朝倉家にいた明智光秀の仲介により、織田信長を頼って尾張(現在の愛知県)へ向かいます。

ところが! 上杉、武田、浅井、朝倉、六角、織田、斎藤、北条らが戦の真っ最中という状態でした。

この大紛争をなんと義昭よしあきが和解させます!

そしてその勢いに乗った義昭よしあきは念願叶って信長の世話で上洛し、第15代将軍につくことになりました。

しかしここで義昭よしあきは信長と対立。

これは信長は義昭よしあきを利用しようとし、義昭よしあきもまた信長を利用したことが原因といわれています。

そんなことから義昭よしあきは一転、信長を排すべく周囲の武将に呼び掛け、後に信長包囲網と呼ばれる布陣を展開しました。

参加武将は武田信玄上杉謙信、毛利輝元、本願寺顕如、六角義賢、朝倉義景、浅井長政、さらに延暦寺、本願寺などの寺社勢力、兄の敵でもあった松永久秀、三好三人衆まで!

これもまたえらいメンバーが義昭よしあきの下に集まりました。

かつてこのメンバーを『揃えられる将軍』がいたでしょうか?

ところが信玄の突然の死で包囲網の一角が崩れたこと、そして浅井、朝倉を倒すという信長の巻き返しに、義昭よしあきは降伏。

ついに義昭よしあきは京を追放されます。

その後の義昭よしあきは大阪、和歌山、広島と放浪し、ついたあだ名が『貧乏公方』

つまり貧乏将軍という意味です。

しかし、ここでまた転機が訪れます。

それは本能寺の変による信長の死です。

義昭よしあきは毛利家にすり寄りますが、毛利が秀吉に屈服すると今度は豊臣秀吉に近づきました。

すると秀吉義昭よしあきを大切に扱い、その結果として、豊臣政権確立まで義昭よしあきは『征夷大将軍』でありつづけ、秀吉が関白になると、将軍義昭よしあき&関白秀吉のコンビは2年ほど続き、秀吉義昭よしあきを『貴人』として扱い、京都への帰還も助けたのです。

その後、御伽衆おとぎしゅうという秀吉の側近ともいうべき地位を与えられ、よい相談相手となり晩年を秀吉と供にしました。

61歳で病死したといわれていますが、この時代の将軍としては大往生ですね。

◆まとめ

よく時代劇や小説、漫画等では『情けないキャラクター』として描かれていますが、

足利義昭よしあきは、立場や状況を持ち前のバイタリティーで覆し、征夷大将軍でありながら 戦国大名並の謀略をしかけ、自ら行動し、戦を切り抜け『生き残った』という稀な将軍であるようですね!

室町幕府最後の将軍としての生き様が見れたかと思います。

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